こんにちは
トスパ東京製旗株式会社です。
今日は60年ほど前の国旗生産風景のご紹介です。
60万枚という膨大な枚数の日の丸を生産
60年ほど前のお話です。オリンピック前年の1963年(昭和38年)ごろから連日大量の日の丸の注文が続きました。
連日、日の丸を染めても染めても注文に追いつかず、この期間だけで60万枚という膨大な枚数の日の丸を生産しました。写真は染めた国旗を乾燥させているところです。ボイラー乾燥機などないので天日干しでした。
東京製旗にとっての日の丸ブームでした。
手ぬぐいに五輪マークの5色染め
当時、お得意様から手ぬぐい10万枚の注文が入りました
手ぬぐいに五輪マークの5色を染めるのは、当時の染色技術では大変難しい仕事でした。
まずは、1週間の突貫工事で工場を増設。
ほぼ全行程を手作業で短期間で仕上げなければならないので連日の徹夜作業。
社員一丸となってなんとか間に合わせたというエピソードを楽しそうに先代は話していました。このコラムを書いている筆者は幼い子供でしたが休日もなしで働く活気のある工場の人たちの姿が記憶に残っています。
当時は、東京オリンピックに向けて新幹線や高速道路などもそうですが戦後の高度成長期、すべてがそんな突貫工事で進んでいたようです。